2010年5月26日

イエス様と歩む研究生活に期待!

みなさんこんばんは。本日はみなさんの前で、イエス・キリストとの出会いを証しできる恵みに感謝いたします。
 わたしがイエス・キリストと出会ったのは、大学院に在学中の、26歳のときでした。わたしは生まれてはじめてイエス・キリストが誰なのかを知らされました。聖書には次のように書かれています。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」新約聖書ローマの信徒への手紙5章8節。
 わたしが知ったことは、神様がいて、わたしを愛してくれていること、わたしが罪人であること、イエス・キリストが神の独り子であること、イエス・キリストが十字架で死んだのは、わたしの罪を身代わりとなって引き受けるためであったこと、イエス・キリストの愛を心から受け入れるなら、わたしの罪は赦されること、などでした。
 イエス・キリストの愛と赦しを理解することは、それほど難しいことではありませんでした。友達も、教会の牧師先生も、分かりやすく、繰り返し教えてくれました。そして、はじめて紹介された日から2週間あまり経ったころ、わたしはイエス・キリストを、わたしの主として受け入れることができました。なぜ自分がイエス・キリストを心に迎え入れられたのか、決定的なことは分かりません。イエス・キリストの方からわたしに出会ってくださり、ただ一方的なプレゼントとして、わたしはその愛と赦しを信じることができるようになりました。信じられるという、大きな恵みに感謝いたします。
 イエス・キリストとの出会いを通して、わたしには人を愛する心と、喜びや感謝の心、そして平安が与えられました。以前の自分は、自己中心的で人を軽んじ、不平不満を言い、いつもイライラしている人間でした。大学時代、わたしには、硬式テニスサークルで6年間ダブルスのペアとして試合をしてくれた友人がいました。彼とわたしは大学からテニスを始めた初心者であり、どちらが上手いということもなかったのですが、試合に負けるたびにわたしは相手のせいにして、自分のミスを棚に上げていました。その友人は申し訳なさそうに言葉をかけてくれたり、気遣ってくれたりしながら、わたしのことを責めるでもなく、6年間ペアを続けてくれました。このようにわたしには、せっかく友人や家族が親切にしてくれるのに、感謝の心がなかったり、自分も悪いのに人のせいにばかりしたり、自分の間違いを認めなかったりすることが、多々ありました。こうした以前の自分の姿を考えれば、わたしが心から人を愛し、日々を喜びと感謝で、平安に過ごすなど、自分の力では到底できることではありませんでした。テニスサークルの友人と最近何年かぶりに会いましたが、今では、友人でいてくれることに心から感謝しています。イエス・キリストはわたしと出会ってくださっただけでなく、もっと積極的に手を差し伸べてくれて、わたしの人間性を新しく作り変えてくださる方です。今も生きておられ、わたしを愛し、導いてくださる主イエス・キリストを賛美します。
 大学院を修了した後、研究所で3年間勤務し、この春から現在の職場に移って来ました。主イエス・キリストが導かれる以上、この職場には主がわたしに期待している大きな計画があると信じます。以前の職場も研究環境としては素晴らしく整えられた場所でしたが、通勤に片道2時間あまりを要しました。主は、わたしとわたしの為に執り成してくださる方々の祈りに答えてくださり、再就職の道を開いてくださいました。主と共に歩む毎日は、喜びと期待感に溢れます。想像を超えるような大きなプレゼントに驚かされ、落ち込んでも励まされ、人間関係の中には本当の愛を与えてくださいます。新しい職場での生活にもたくさんの主の導きを期待し、目の前のやるべきことを一歩一歩進めて行きたいと思います。
 これでわたしの証しを終わります。ありがとうございました。